惰性の娯楽の日々

娯楽を享受して、時間が過ぎる。
ただ、ただ、過ぎていく。
そして、一日が終わる。
あくる日も、あくる日も。同じように過ぎていく。



すべて、ただの消費なのであって
そこから生ずる感動や、快楽や快感や、満足も
すべて、振り返れば浪費と一言ですませられる
結果にしか思えなく、帰り道に一人愚痴るときがある。



生産する側にまわろうとも、
技術も適性も、なにもないし
消費よりも難しい大変なことばかりで
そして、それも結局誰かの消費のためなのだ。



生を実感する?
生に満足する?
惰性の日々から、顔を上げたい。
打ち込めるなにかに目を向けたい。